2006年 07月 27日
東海道中膝砕毛 最終日17日目(草津宿~京・三条大橋)
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疲れがピークに達しているせいか今日は8時間以上も寝てしまった。今日は草津宿~京・三条大橋の26Kmを歩く。なんとか今日中にはゴールすることができるだろう。 ホテルをチェックアウトし、 草津駅前の「ロッテリア」で朝飯。今朝も肉喰らいたい病が発症し、ハンバーグにかぶりつく。食べていると牛肉が筋肉にしみわたるようである。
草津宿発、午前8時40分。天気良好だ。 2時間ほど歩くと琵琶湖が見えてくる。瀬田大橋を渡りながら琵琶湖を眺めていると、その水面がボクの内なるロマンティシズムをかきたてて・・・といいたいところだが、この時にボクの頭に浮かんできたこととは大学時代の教養課程のときにさんざん勉強させられた「琵琶湖の富栄養化問題」であった。最近では赤潮もめっきりと減ったと聞いているが・・・。 4日目ともなると足取りは重く感じられるものの、あと15Kmも歩けばゴールに到着できると思うと、足の痛みや体の疲れが苦にならない、どころか痛みも疲労感も一緒に苦労を共にした戦友のように思えてきて慈しみすら感じる。
そろそろ大津宿だ。前方に見える山を越え、さらにもうひとつ山を越えると憧れの京である。 大津宿にある「義仲寺」。源範頼・義経軍に木曽川の戦いで敗れ、その後戦死した源義仲の墓があるところである。ボクの歴史好きは源平の争乱時代に興味を持つことより始まったが、義仲のように勇敢に戦い、そして呆気なく敗れ去った武将により惹かれる傾向があり、今でもその傾向は変わらない。平清盛、源頼朝といった人物よりは源義朝、平知盛といった悲劇の武将のもつある種の哀れみがそうさせるのかもしれない。(俳人・松尾芭蕉もこの寺に眠っている) 東海道五十三次の五十三番目の宿場「大津宿 本陣跡」着、12時28分、歩数22950歩。残るは京都・三条大橋までの11.7Kmだけだ。
大津宿から京までは大きな山を2つ越えなければならない。初めの山である逢坂山の峠付近に鰻の名店(とガイドブックに書いてあった)「かねよ」で昼飯にすることにした。 注文は「鰻重特上」大盛り(2280円)と「鯉こく」(600円)。
期待した特上鰻重は隙間だらけで拍子抜け。。。こんなはずはない!蒲焼がダブルバーガーのように2段になっているはずと、ご飯をかき分けかき分けしてみたろころ・・・蒲焼の小さいのがかくれんぼをするように隠れているだけであった。遊び心でこんな仕掛けをしたのだろうが、こんなセコイ遊び方をされるとかえって興ざめである。
蒲焼の味は悪くはない。でもご飯が多すぎで、鰻の味がわからなくなるほどだ。(写真でみるよりも実際のご飯の量は多く、ご飯茶碗に4膳から5膳は軽くある)
初めての鯉こくは、酒粕の香りが強く、あまり得意な食べ物ではない。甘いのもちょっとね・・・である。
鰻料理「かねよ」(逢坂山):http://www.kaneyo.in/index.html
ものすごーく食べ過ぎたようだ。胃がはちきれそうで、下り坂でも苦しい。逢坂山を下ると京までは残りがたったの9Km。ゴールに着いたらどんな感慨に包まれるのだろうか・・・。 逢坂山を過ぎると道は平坦になる。山科を通り過ぎ、前に見える山(東山連峰?)を越えるといよいよ京都だ。 最後の難関、というほどのものではないが、この山を登り切ると京都の街が一望できるはずである。そして京都の街を睥睨しながら叫ぶのだ、「やったどぉ~~」と。(浜口君風にね 笑)
ところが、山頂と思しきところからは京都の街などはまったく見下ろすことはできず、
「やったどぁ~」パフォーマンスはここ蹴上から実行した。「やったどぉ~ やったどぉ~」と何度も叫べども、何の感慨に耽ることもできず、ただただ苦味の入り混じった笑いがこみ上げてくるだけであった。 ついに!京・三条大橋が目の前に。 「京・三条大橋」着、16時49分、歩数42972歩。
ここに着いたらどんな気持ちに包まれるのだろう?これは日本橋を発ったときからずーっと想像を膨らませてきたことであった。
顔中が笑いで覆われるだろうか?感激のあまり泣き崩れるだろうか?長かった道のりで見たあれこれの景色がまるでスライドショーを見るように蘇ってくるだろうか?・・・どれもこれもボクにとっては一生の思い出に残るであろうほど劇的なものになるはずであった。その舞台は鴨川が視界にすっぽりとおさまる茶店であることが望ましかった。
ボクは三条大橋を渡りきったところにあるスタバに飛び込みアイスラテを購入し、舞台装置としては絶好の川床席に陣取り、辺りに目を凝らしながらその瞬間を待った。が、なんの感慨も湧いてこない。湧いてきた感想は「あーやっとおわってくれた」であった。それはまるでたまりにたまった夏休みの宿題をやり終えた9月1日午前2時に感じるそれと同類のものであった。
なにはともあれ、無事に東海道を踏破することはめでたいことではあろう。ここは自分を祝ってあげるべきであろう。ということで今晩は「ホテル・オークラ」に宿泊することにした。 シングルルームの窓からは東山連峰がまるで水墨画のようにたたなずむのが見える。しばしうっとりとその姿を見ていると、今頃になってやっと嬉しさでもない、哀しさでもない、どうにも表現のしようもないこそばゆい感情にすっぽりと覆われる。その感情は決して激しいものではなく、あくまでも静謐なものであったが、本当の喜びとは破顔一笑をもたらすものではなく、むしろ<しみじみとした>ものを与えてくれるのではないか、などと思ったりした。
そんな気持ちを抱きつつ、汗と埃とにまみれた3日分の下着とシャツを抱えてバスタブに飛び込んだ。明日から着るものがないからである。(須磨子談・・・東山連峰を見ているという主人から電話をもらいました。声が落ち込んでいたので、なにかあったのかと思いましたが、無事に京都に着いたのだと聞きひと安心しました。別に東京で気を揉んでいたわけではないのですが。それにしても、まったく主人の貧乏性には呆れてものもいえませんでした。せっかく奮発して高級なホテルに泊まるんでしたら、洗濯くらいホテルにお願いすればいいと思いませんか?もっとも、下着、シャツ、ズボンを持ってこいという主人からの依頼を断った私がいけないのかもしれないんですけどね。明日から京都で主人と合流し、久しぶりの京都を堪能したいと思います)
夕飯はホテル内にある和食店「入船」で食べることにした。(本当は最上階にあるフレンチで祝杯をあげるつもりだったが、ボクの服装ではドレスコードにひっかかるということで断念した) 食べたのはこんなもんだ。寿司懐石+単品2品(「鱧おとし」と「稚鮎の焼物」)。どれもこれも筆舌に尽くしがたい味である。特に夏の風物詩である鱧は絶品であった。(後にこのホテルは一時、京都の美観を損ねると、京都中の寺社仏閣から総スカンを食ったあの京都ホテルだということを知った。いつのまにかオークラ・グループが資本参加したのであろう。京都ホテルが経営する料理店「粟田山荘」では一度だけ接待されたことがあり、そこの流れを汲む「入船」であれば、料理が旨いのもむべなるかなと頷ける) ワインの品揃えはそれほど多くはない。(赤白それぞれ5アイテムほど)
そこで我がままを言ってみた。すなわち、ロワールやアルザスのワインはないの?と。すると、仲居さんが機転を利かせてくれ、なんと最上階からソムリエを呼んできてくれたのだ。ぶ厚いワインリストと共に登場した彼と相談した結果、ワインはサンセールをいただくことにした。(彼の話によると、最上階のフレンチは特にドレスコードはなく、ボクの服装でもまったく問題がないという。フロントであのように言われたのは、もしかしてボクの容姿に問題があったのかもしれない。 笑)
★本日の費用
飲食費+宿泊費 54145円
(ホテル・オークラでの飲食費と宿泊費との内訳が不明のため)
累計 303474円
これをもちまして「汎著巣<東海道膝砕毛>日記」を終わらせていただきます。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
次はどの街道を歩こうか、まだ決めかねていますが、「El camino de Santiago」(サンティアゴの道)を歩くには体力のみならず精神力が不足しているように思われます。当分は今回のように腕試し的なコースを歩いてこれらのパワーを養っていきたいと考えてます。
東海道を踏破してボクがどんな感想を抱いたかは既に述べたとおりですが、それ以外に変化したことを以下に記します。
・体重が4キロ減りますた!(4キロの体重を落とすために30万もかけあがって!と女房にイヤミを言われてます。 泣)
・ひとりめしが平気になりますた。(昼飯はともかく、夕飯をひとりで食べるのが億劫でなくなりました。フレンチだろうが、割烹だろうが、<キャバクラだろうが>、他人の目が気にならなくなりましたし、孤独感に苛まれることがなくなりました)
まあ、こんなもんでしょうか。・・・それでは、<たぶん>今秋まで あ・びあんと♪
追伸:明日からの京都での記録は本家「汎著巣日記」にてアップする予定です。
草津宿発、午前8時40分。天気良好だ。
そろそろ大津宿だ。前方に見える山を越え、さらにもうひとつ山を越えると憧れの京である。
大津宿から京までは大きな山を2つ越えなければならない。初めの山である逢坂山の峠付近に鰻の名店(とガイドブックに書いてあった)「かねよ」で昼飯にすることにした。
期待した特上鰻重は隙間だらけで拍子抜け。。。こんなはずはない!蒲焼がダブルバーガーのように2段になっているはずと、ご飯をかき分けかき分けしてみたろころ・・・蒲焼の小さいのがかくれんぼをするように隠れているだけであった。遊び心でこんな仕掛けをしたのだろうが、こんなセコイ遊び方をされるとかえって興ざめである。
蒲焼の味は悪くはない。でもご飯が多すぎで、鰻の味がわからなくなるほどだ。(写真でみるよりも実際のご飯の量は多く、ご飯茶碗に4膳から5膳は軽くある)
初めての鯉こくは、酒粕の香りが強く、あまり得意な食べ物ではない。甘いのもちょっとね・・・である。
ところが、山頂と思しきところからは京都の街などはまったく見下ろすことはできず、
ここに着いたらどんな気持ちに包まれるのだろう?これは日本橋を発ったときからずーっと想像を膨らませてきたことであった。
顔中が笑いで覆われるだろうか?感激のあまり泣き崩れるだろうか?長かった道のりで見たあれこれの景色がまるでスライドショーを見るように蘇ってくるだろうか?・・・どれもこれもボクにとっては一生の思い出に残るであろうほど劇的なものになるはずであった。その舞台は鴨川が視界にすっぽりとおさまる茶店であることが望ましかった。
ボクは三条大橋を渡りきったところにあるスタバに飛び込みアイスラテを購入し、舞台装置としては絶好の川床席に陣取り、辺りに目を凝らしながらその瞬間を待った。が、なんの感慨も湧いてこない。湧いてきた感想は「あーやっとおわってくれた」であった。それはまるでたまりにたまった夏休みの宿題をやり終えた9月1日午前2時に感じるそれと同類のものであった。
なにはともあれ、無事に東海道を踏破することはめでたいことではあろう。ここは自分を祝ってあげるべきであろう。ということで今晩は「ホテル・オークラ」に宿泊することにした。
そんな気持ちを抱きつつ、汗と埃とにまみれた3日分の下着とシャツを抱えてバスタブに飛び込んだ。明日から着るものがないからである。(須磨子談・・・東山連峰を見ているという主人から電話をもらいました。声が落ち込んでいたので、なにかあったのかと思いましたが、無事に京都に着いたのだと聞きひと安心しました。別に東京で気を揉んでいたわけではないのですが。それにしても、まったく主人の貧乏性には呆れてものもいえませんでした。せっかく奮発して高級なホテルに泊まるんでしたら、洗濯くらいホテルにお願いすればいいと思いませんか?もっとも、下着、シャツ、ズボンを持ってこいという主人からの依頼を断った私がいけないのかもしれないんですけどね。明日から京都で主人と合流し、久しぶりの京都を堪能したいと思います)
夕飯はホテル内にある和食店「入船」で食べることにした。(本当は最上階にあるフレンチで祝杯をあげるつもりだったが、ボクの服装ではドレスコードにひっかかるということで断念した)
そこで我がままを言ってみた。すなわち、ロワールやアルザスのワインはないの?と。すると、仲居さんが機転を利かせてくれ、なんと最上階からソムリエを呼んできてくれたのだ。ぶ厚いワインリストと共に登場した彼と相談した結果、ワインはサンセールをいただくことにした。(彼の話によると、最上階のフレンチは特にドレスコードはなく、ボクの服装でもまったく問題がないという。フロントであのように言われたのは、もしかしてボクの容姿に問題があったのかもしれない。 笑)
★本日の費用
飲食費+宿泊費 54145円
(ホテル・オークラでの飲食費と宿泊費との内訳が不明のため)
累計 303474円
これをもちまして「汎著巣<東海道膝砕毛>日記」を終わらせていただきます。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
次はどの街道を歩こうか、まだ決めかねていますが、「El camino de Santiago」(サンティアゴの道)を歩くには体力のみならず精神力が不足しているように思われます。当分は今回のように腕試し的なコースを歩いてこれらのパワーを養っていきたいと考えてます。
東海道を踏破してボクがどんな感想を抱いたかは既に述べたとおりですが、それ以外に変化したことを以下に記します。
・体重が4キロ減りますた!(4キロの体重を落とすために30万もかけあがって!と女房にイヤミを言われてます。 泣)
・ひとりめしが平気になりますた。(昼飯はともかく、夕飯をひとりで食べるのが億劫でなくなりました。フレンチだろうが、割烹だろうが、<キャバクラだろうが>、他人の目が気にならなくなりましたし、孤独感に苛まれることがなくなりました)
まあ、こんなもんでしょうか。・・・それでは、<たぶん>今秋まで あ・びあんと♪
追伸:明日からの京都での記録は本家「汎著巣日記」にてアップする予定です。
by fuanita-tekuteku
| 2006-07-27 12:30
| 東海道中膝砕毛