2006年 07月 12日
東海道中膝砕毛 10日目(天竜川駅~二川宿)
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昨晩は11時ごろ寝入ったのに、今朝は3時半にはもう目がパッチリ。枕が替わったせいではない。老人特有のシンドロームが出てしまっただけのことである。 5時過ぎに「名鉄ホテル」の請求額に目をクリクリさせながらチェックアウトし、 5時34分発、静岡行きの始発電車に乗り込み、ひとつめの「天竜川駅」で降り、 昨日の終着点からてくてく行脚を始める。スタート、午前5時45分。天気は上々である。今日は「吉田宿」(豊橋)までの42キロメートルを歩きたい。 腹が減っては戦はできぬ、というのはウソだと思う。腹が減っているときのほうが戦闘的になるような気がするからだ。けんど、体重がこのところ悲しいことに激減しているので、コキタナイ浜松アリーナのベンチに座り、無理やり鮭にぎり2個をヴォルヴィックで流し込む。(浜松アリーナの清掃員のおぢさん、おばさんへ私信:どのベンチも汚すぎるので掃除をちゃーんとしておくように!) 浜松名物「うなぎパイ」のたて看板。「夜のお菓子」ってどんな意味なんだろう?ウブなボクにはまったく見当がつかない。 浜松駅を過ぎて足取りは順調そのものだ。この道をもう少し行くと浜松宿の本陣跡があるはずだ。あるはずだ。あるはずだ。・・・が、1キロ以上歩いても見つからない。そんなはずはないとさらに歩いても見つからない。さらに右往左往・・・地図を確認してみると、ぎょぎょ!左に曲がるべきところを真っ直ぐに歩いてしまったのだ。トホホ! 曲がるべきところまでバスで戻ることにした。バス停4つ分もロスしてしまった。トホホのホである。 「浜松宿」着、8時ジャスト(11551歩)。6000メートル歩くのに2時間以上もかかってしまった。
浜松宿本陣跡は今は銀行が建っているが、そこには「本陣跡」の表示もなにもない。浜松も大都市だけあって文化なんかよりもジェニなのだろうか。静岡県では県庁所在地である静岡のほうが規模は大きいのだろうけど、浜松駅周辺のほうが建物が近代的なものが多い。まるでスペイン経済を牽引しているというビルバオのようだ。 道に迷ったために1時間も貴重な時間をロスしたことでテンパッてしまい、デニーズで頭を冷やしながらヤケ喰いをすることにした。サニー・サイド・アップをオン・ザ・ライスして、その上から醤油をドボドボとかけ、ワシワシとかき込んでやった。どうだ、参ったか!<おぢさん、れいせいに、れいせいに。 食事をしたり、神社のベンチで休憩したりした時間を利用して娘に安藤広重の版画絵の絵葉書を娘に送ることにしている。浜松宿の絵葉書はイージーミスで道に迷い、時間をつぶしてしまった自分のおっちょこちょい加減を切々と嘆く文面になってしまった。 旧東海道にはこのような松並木が多い。松の木陰を歩いていると、江戸時代の旅人になったような気分になれる。 なっつかすい!チェリオ。貧乏学生の救世主、値段は安いのに量は多い愛しのチェリオ様である。中学から大学まで部活のあとに1本30円(大学時代は50円?)で500mlも入っているチェリオ・グレープを一気飲みしたときの至福感はなにものにも替えがたい。 「舞坂宿」着、11時42分(29598歩)。道に迷い時間をロスしたショックからは立ち直ったようで、心も体も爽快だ。 舞坂宿を出るとすぐに眼前に広大な浜名湖が広がる。日差しは強いものの海から吹き寄せる風が心地よい。湖面の下にはたくさんの美味ムーチョの鰻が泳いでいるんだろうなぁ。あはぁ~うなぎの蒲焼喰いたひ! 江戸時代はここから次の新居宿まで歩かずに舟で渡ったという。現在は道があるので歩いて行けないこともないが、ボクだけが苦労して歩くのも不公平っちゅーもんなので電車に乗りひと駅分(約3キロメートル)だけ楽させてもらうことにした。文明の利器はええのぇ~♪ 箱根以来の関所が「新居宿」にはある。「入り鉄砲と出女」、武器の流入と女性の流出にはとくに厳しいチェックが行われていたそうだ。「入り鉄砲」はわかるが「出女」はわかりにくいだろう。これは某駅弁大学の日本史の入試問題に出題されたのでよく覚えている。「女」とはパンピーの女性ではなく、人質として江戸に住まわせている大名の婦女子のことなのである。人質がこっそりと江戸抜けをし、国許に帰るなんてことが起こったら、すわ!謀反!?と考えたのだろう。 旅籠「紀伊国屋」。宿泊はできない。(中は博物館) 「新居宿」着、12時23分(32455歩)。文明の利器を使ったので前の舞坂宿から40分しかかからなかった。 旧東海道には和菓子店が多い。ひとつの宿場に多いところでは10軒近くもあったりして、競合が激しすぎて経営が成り立つのか心配になってしまう。ここまで歩いて江戸時代人のように和菓子を一度も食べてないことを思い出し、とある和菓子店に入り「水まんじゅう」(1個100円)を2個買い、軒先で”うっかり八兵衛”風にガツガツと食べてみた。水まんじゅうは水の中に饅頭が入っている、あるいは饅頭の中味が水(!)というものではなく、葛で作った外側の皮がみずみずしいからこの名前がついた、のではないかと想像される。生まれて初めて経験する歯ごたえ、餡子の美味しさにうっとりとなってしまった。
水まんじゅうをかぶりつきながら、東海道ガイドブックを見ていると・・・し、しまった!昼飯を食べる予定にしていた鰻屋は目と鼻の先にあるではないか。こんなことなら饅頭なんて食べるんじゃなかったと後悔しきり。 それでも浜名湖を見たら鰻の蒲焼を食べないわけにはいかないと、ガイドブックに「ひつまぶし」で有名と書いてあった「かねはち」でそのひつまぶしを注文。(一人前2000円)
ひつまぶしは記憶によるとこれで2回目。ひつまぶしトーシローである。何を隠そうついこの前まで「ひつまぶし」ではなく、「ひまつぶし」とインプットしていたのである。ただの鰻ご飯を3通りの食べ方でたべるなんざ、忙しいビジネスマンにできる芸当ではなく、あれは暇を持て余したヒマジンがひまつぶしに食べるからこう呼ぶのだとマジで考えていた。前置きはいい。
ひつまぶしは3通りの食べ方で以前も食べたと記憶している。銭湯にある風呂桶のような器にびっしりと入った鰻ご飯をまずはそのまま食べてみる。鰻のサイズはキングサイズなのに味の肌理が細かくイケル。鰻は蒸してあるせいで口の中でとろけるのも嬉しい。まずは◎だ。次に鰻ご飯を茶漬け、というよりも出汁漬けで食べてみる。これも悪くはないが、そのまま食べるほうが好みだ。で、3番目の食べ方・・・あれ?どうやって食べればよいのか忘れてしまっている。薬味のネギと山葵は出汁漬けで使っちゃったし、漬物とマゼマゼして食べるのも違うようだし、もしかして吸い物をガバーっとかけるとか?まさかメロン汁をふりかける、なーんてのはありえないだろう。まあ、そんなことより残った3割の鰻飯は山椒をたっぷりと振りかけてかき込んだ。やはりオーソドックスな食べ方がイチバン美味しい。
鰻料理「かねはち」(静岡県浜名郡新居町):http://www.hamanako.com/ukkee/link/003.html
白須賀宿の手前でまた坂だ。初めはなだらかな坂が、あるところを境に急坂(潮見坂)へと豹変する。500メートルほどの急坂は肝臓に疲労物質である乳酸を蓄積するには十分な距離で、写真左上の頂上に着いたときには息も絶え絶えであった。それでも途中で一度も休むことなく一気に坂を駆け上がることができたのは地元の女子中学生の黄色い声援の賜物だと思う。ここの中学校(白須賀中学?)の生徒はすれ違うたびに「こんにちは」と明るい声で挨拶を投げかけてくる。学校の教師にそうせい!と教育されているのだろうが、その挨拶ぶりが自然でとても清清しい。おまけにボクが息を切らせながら急坂と格闘しているのを見て「がんばってください!もう少しですよ」と応援までしてくれるのである。白昼堂々くわえタバコでうだついている地元の不良中学生に爪の垢でも煎じて飲ませたいものだ。それとも、区の教育委員会にねじ込み、ワルガキどもを白須賀中学に留学させるように圧力をかけるのもいいかもしれない。 「白須賀宿」着、15時05分(42952歩)。吉田宿(豊橋)まではあと12キロメートル。 白須賀宿から少し歩くと国道1号と合流する。この道路はトラックの往来が激しく、それが巻き上げるホコリで何度も目が死ぬ。(「目が死ぬ」とはハード・コンタクト使用者の方言で、目にゴミが入り痛くて目が開けられなくなることを指す)歩道はあるものの雑草が生い茂っているためにまともに歩けない個所が多々ある。この日は白いチャネル・パンツをはいていたが、このおかけで腿から下は真っ黒になってしまった。(中部道路管理なんとかの道路整備課の課長へ私信:車が走る車道だけじゃなくて、人が歩く歩道もちゃんと掃除をするように!)そういえば、4キロメートルほど歩いた国道1号では歩いている人はボク以外には誰もみかけなかった。
おっといけねぇ、写真のことを話すのを忘れていた。これは玉ねぎ畑。東京生まれ東京育ちのボクは生まれて初めて玉ねぎ畑を見た。玉ねぎってちゃんとネギしているんだなぁと、玉ねぎの青い部分を見てヘンに納得。この青いところは食べられないんだろうか? 二川宿にはこのように歴史を感じさせてくれる建物が数多くあり、劣悪な環境の国道1号を歩いてきたせいか、しっとりした感慨に包まれる。・・・それはそれでケッコウなことだが、このあたりから右足ふくらはぎが軽い肉離れを起こしたようで、筋肉を伸ばす度に痛みが走り始める。豊橋まであと6キロメートルしかない。歩いて歩けないことはない。だが、大事をとって泣く泣くここで打ち止めにした。 「二川宿 本陣跡」着、16時47分(54131歩)。今日は35.5キロメートルを11時間で歩いたことになる。(このうちの3キロは電車という名の下駄をはいているが)京都・三条大橋まであと211キロメートル。
東海道線二川駅から浜松まで行き、そこから新幹線こだま号に乗り換え東京に帰った。(東京からの距離が離れれば離れるほど交通費がバカにならないので、今回は2泊3日で予定を組んだが、明日は大雨という予報なので、東京に帰ることにしていた。肉離れもどきを起こしていたので都合が良かったとも言える)
★本日の費用
交通費 8990円
飲食費 4056円
合計 13046円
累計 119352円
浜松宿本陣跡は今は銀行が建っているが、そこには「本陣跡」の表示もなにもない。浜松も大都市だけあって文化なんかよりもジェニなのだろうか。静岡県では県庁所在地である静岡のほうが規模は大きいのだろうけど、浜松駅周辺のほうが建物が近代的なものが多い。まるでスペイン経済を牽引しているというビルバオのようだ。
水まんじゅうをかぶりつきながら、東海道ガイドブックを見ていると・・・し、しまった!昼飯を食べる予定にしていた鰻屋は目と鼻の先にあるではないか。こんなことなら饅頭なんて食べるんじゃなかったと後悔しきり。
ひつまぶしは記憶によるとこれで2回目。ひつまぶしトーシローである。何を隠そうついこの前まで「ひつまぶし」ではなく、「ひまつぶし」とインプットしていたのである。ただの鰻ご飯を3通りの食べ方でたべるなんざ、忙しいビジネスマンにできる芸当ではなく、あれは暇を持て余したヒマジンがひまつぶしに食べるからこう呼ぶのだとマジで考えていた。前置きはいい。
ひつまぶしは3通りの食べ方で以前も食べたと記憶している。銭湯にある風呂桶のような器にびっしりと入った鰻ご飯をまずはそのまま食べてみる。鰻のサイズはキングサイズなのに味の肌理が細かくイケル。鰻は蒸してあるせいで口の中でとろけるのも嬉しい。まずは◎だ。次に鰻ご飯を茶漬け、というよりも出汁漬けで食べてみる。これも悪くはないが、そのまま食べるほうが好みだ。で、3番目の食べ方・・・あれ?どうやって食べればよいのか忘れてしまっている。薬味のネギと山葵は出汁漬けで使っちゃったし、漬物とマゼマゼして食べるのも違うようだし、もしかして吸い物をガバーっとかけるとか?まさかメロン汁をふりかける、なーんてのはありえないだろう。まあ、そんなことより残った3割の鰻飯は山椒をたっぷりと振りかけてかき込んだ。やはりオーソドックスな食べ方がイチバン美味しい。
おっといけねぇ、写真のことを話すのを忘れていた。これは玉ねぎ畑。東京生まれ東京育ちのボクは生まれて初めて玉ねぎ畑を見た。玉ねぎってちゃんとネギしているんだなぁと、玉ねぎの青い部分を見てヘンに納得。この青いところは食べられないんだろうか?
東海道線二川駅から浜松まで行き、そこから新幹線こだま号に乗り換え東京に帰った。(東京からの距離が離れれば離れるほど交通費がバカにならないので、今回は2泊3日で予定を組んだが、明日は大雨という予報なので、東京に帰ることにしていた。肉離れもどきを起こしていたので都合が良かったとも言える)
★本日の費用
交通費 8990円
飲食費 4056円
合計 13046円
累計 119352円
by fuanita-tekuteku
| 2006-07-12 12:30
| 東海道中膝砕毛