ボクは毎朝だいたい3時半ごろ、遅くとも4時には目が覚める。が、今日に限っては起きたのは6時少し前。今日も暑くなりそうなので、太陽光線が緩やかな早い時間帯に集中して歩きたい。慌ててシャワーを浴び、荷物の用意をしてチェックアウト。空は真っ青で、案に相違して朝から日差しが強い。
昨日の終着点「御油宿 本陣跡」をスタートしたのは7時03分。今日は50Km近く歩いて「宮宿」(熱田)まで、たぶん無理だと思うけど、辿り着きたい。気温はすでに30度近いと思われる。
東京では滅多に見られなくなったツバメの巣。藤沢宿あたりからちらほらとツバメの姿が散見されるようになり、もうこのあたりまでくるとツバメだらけだ。スズメの姿はあまりみかけない。
東京で鳥といえばカラス、スズメ、鳩が御三家だが、今まで歩いてきた藤沢宿以西の東海道ではツバメが圧倒的に主流で、カラスなどは静岡や浜松などの都会以外ではほとんど見ない。ボクがよく散策する林試の森で聞いた話ではカラス、スズメ、鳩はその数が多いほど環境汚染度が高いそうだ。
国の天然記念物に指定されている「御油松並木」。出勤時間と重なっていたので車を避けながら、狭い路側帯を歩く。松並木をうっとりと眺めるなんて芸当はほとんど不可能である。
「赤坂宿」着、7時28分(2240歩)。前の御油宿との距離は1.7Kmしかない。
本陣跡のすぐ隣にある連子格子の旅籠「大橋屋」。江戸時代の建物をほとんどそのまま残して今日も営業を続けているという。もっとも江戸時代には「ビードロ」(ガラス)は高価で、庶民の手に入らなかっただろうが。ちなみに「ビードロ」はスペイン語の「vidro」または「vidrio」から採ったもの。以上、簡単なスペイン語講座でしたー。
あちこちの民家の家の軒下にはこのように玉ねぎがぶら下げられている。東京では見られない光景だ。後にググッてみたら「料理のいろは」というHPに
こんなことが書いてあった。ふーん、もしかしてこれって常識?
スタートしてから2時間も経つというのに一軒のコンビニも見つからない。旧街道沿いはあまり商売に適したところがないせいなのだろう。必要なエネルギー源を補給できないまま、排気ガス地獄の国道1号と合流したところに、朝から営業をしているドライブインがあり、ここで栄養補給。
客層はトラックの運転手さんばかり。食べたのはメンチカツ2個、玉子焼き、具なし味噌汁(赤だし)、ご飯大盛り。(880円)
味は特にどうということはなく、一応は食欲中枢を満足させることはできた。
食後、歩き始めて20分くらいしたころ、なにやら下腹部に違和感を感じ始める。30分後、便意を催す。我慢できないことはないとしばらく歩き続けていたら、50分後に再び波が押し寄せる。その後、波の間隔はどんどん短くなり、30分が20分に・・・5分が2分に・・・もう産まれちゃう!もうダメ!とそこらの草むらでやっちゃおうかと覚悟を決めたそのとき、目の前に公衆トイレが。間一髪!ふぅ~、すくわれたぁ~♪
ボクは特にお腹が弱いわけではないが、古くなった油だけには即座に反応する体質なのだ。きっとあのメンチカツの油にやられたのだろう。
「藤川宿 本陣跡」着、10時25分(歩数17551歩)。10.5Kmを2時間23分で歩いたことになる。時速4.4Kmとまあまあのペースだ。
藤川宿の街並み。気温はとっくに30度は越えていると思われ、好き好んで炎天下を歩く藤川住民はいない。
「江戸まで七十八里 京まで四十八里」の道標。残り4割だ。(といっても「宮宿」から「桑名宿」までは「七里の渡し」があるので実質は41里、161Kmしかない)
松並木のベンチに腰かけ涼を納ろうとしても、暑いといううよりも熱すぎて涼しさのかけらも感じられない。おまけに太陽光線に焼かれたベンチは熱したフライパンのようで、座るや否やお尻に軽度の火傷を負ってしまうありさま。今日は尻難の相が出ているのかもしれない。(笑)
岡崎宿に入ると銘菓「淡雪豆腐」で有名だと本に書いてある「備前屋」がある。今朝、旅籠を発つ前には岡崎で八丁味噌田楽の昼飯を食べ、そのあとにここの淡雪豆腐でデザートにする計画を立てていたのに、あのメンチ野郎のおかげでお腹は壊すは、膨満感に苛まれるはで、何も食べる気はしない。お店のHPを見てみると通販をやっているので、そのうちに注文してみることにする。
「備前屋」(岡崎):http://www.bizenya.co.jp/home.htm
「岡崎宿 本陣跡」着、12時55分(歩数 31059歩)。ここに来るまでに500ml入りのミネラル・ウォーターやアクエリアスを5本も飲んでいる。とにかくあづい!
ほぼどの宿場町でも出入り口の道路は直角に折れ曲がった道路が連続する。これは敵、すなわちアンチ幕府勢力が攻め込み難くするするために採用された構造である。この岡崎宿は東海道五十三次中もっともその曲がり角の多い宿場でその数が27箇所もある。(「岡崎二十七曲り」。詳しくは
ココ)
気温がこれほど高くなければ十分に楽しむことができたところである。が、このときばかりはこの曲がり角に腹が立ってしかたがなかった。
矢作川に架かる矢作橋。五十三次の三大大橋のひとつ(他は京都三条大橋と昨日渡った豊橋<吉田橋>)で、この橋がもっとも長かったそうである。
岡崎宿から10Km進んだところで突然の失速。左足の甲に激痛が走り始めたせいだ。なるべく左足に負担がかからないように歩いてはみたものの、痛いものは痛い。近くの「来迎寺公園」の芝生に倒れこみ、甲をチェック。・・・骨折はしていないようだ。筋を違えてしまったのかも?それとも老人性神経痛?・・・インドメタシンのクリームをたっぷりと塗りこみ20分ほど休憩。
再び歩き出したものの、1000歩も歩かないうちにまた激痛に見舞われ、冷水を足の甲に浴びせる。インドメタシンよりは効果があるようだ。
さて、この碑は天皇の旗である「錦旗」がここに一時的に設置されたというもので、戊辰戦争のとき、徳川幕府を倒すべく東海道を下った熾仁親王がここでひと休みをしたのだろう。
この当時歌われた
「とんやれ節」が頭から離れず、この日後半のテーマソングになってしまった。
みやさん みやさん おんまのまーえに♪と歌いながら5分歩いてはひと休み、とことんやれ とんやれなー♪と3分口ずさんではひと休みを繰り返しやっと知立(池鯉鮒)宿に着いた。
「知立宿 本陣跡」着、17時54分(55385歩)。悔しいけど今日はここまで。
今日は御油宿~知立宿までの32Kmを約11時間で歩いた。数えてみたら500ml入りのペットボトルを12本も消費していた。
今夜の宿は本陣跡からすぐの「知立セントピアホテル」。部屋に入り、水風呂に飛び込み、火照った体をクールダウン。痛めた左足の甲もなんとか歩けるくらいにまで回復をしてくれたようだ。水風呂で人心地ついたところで夕飯問題浮上。・・・街に出て探すのも面倒なので、ホテル内のイタリアン・レストラン「トレンタ・ノーヴェ」に決めた。メンチカツのおかげで昼飯を食べ損なったので、ここでがっつりと食べてやるのである。
知立の景色を眺めながら生を一気飲みし、古い油にやられた胃を洗浄。入れ歯清浄剤の「ポリデント」のようにビールの炭酸が胃壁にこびりついた油をこそげとってくれているようで爽快である。
料理はアンティパスト、プリモ、セコンド、ドルチェ、カッフェで4000円のコースをお願いした。
アンティパストは蟹と茹で玉子のカポナータ添え、白身魚のエスカベーチェ、生ハムとイチジク、蒸し鶏となんとかのナント風ソース。
どのアンティパストも上品で優しい味に仕上げてあり気に入った。ただ、塩分をほとんど感じられないので塩をたっぷりと振りかけて食べた。(塩分についての責任はシェフではなく、塩辛一瓶以上の塩分を汗とともに排出したこのボクにあるのは明白)
プリモは「三河産アサリのボンゴレ・ロッソ」。三河湾はアサリの名産地だとスタッフにすすめられるままにお願いしたところ、これが大当たり!の味。アサリの身はぷりぷりで普段食べている「もしかしたら北?」のアサリより味が濃い。このアサリの出汁を吸い込んだソースがまたうみゃー♪(知立はもう名古屋弁圏内だがや!)パスタもアルデンテで、一気に食べるのが勿体無く、ナイフで切り刻んでちびりちびりと食べた。
セコンドは「手長海老のバジル・ソースと帆立貝の赤ピーマン・ソース」。手長海老も帆立貝も新鮮で美味しい。このソースも優しい味で、徒歩苦行のときの闘争本能をみごとに挫いてくれる味だ。
「マクリーナ 2004」(イタリア・マルケ州の白 4000円)。すっきりとフルーティなワインで、料理ともうまく溶け合ってくれた。
ドルチェは隣接するバルでグラッパを飲みながら食べた。ナンノコッチャ以外なにを食べたか記憶にない。
さて、明日こそ・・・とことんがんばることにしたい!とことんやれ とんやれなー♪
★今日の費用
宿泊費 9000円
飲食費 13817円
交通費 290円
合計 23107円
累計 166157円